Antiquated identification
最近隣のグループに来た外国人ポスドク氏、銀行口座開設に印鑑が必要と言われ困る。生活費受け取りに関わるため悠長に注文なんてしてられないので、最初の2音だけ共通する日本名字の三文判を選んであげた。
他のポスドク氏によると、鈴木でも田中でも銀行は気にしないらしく、漢字の見た目で選ぶケースも多いらしいとのこと。実際、その彼自身も過去数年間使っている銀行印にはなんて書いてあるのか知らないのだと言っていた。
KEKのクラウドファンディング
ツイッターのトレンド欄になぜか #Belle2 ハッシュタグが出ていた。(これはつくばの高エネ研(KEK)がやろうとしてる、一周3kmのでっかい装置などを使って宇宙の謎を探る大規模実験の名前だ)
ハッシュタグを辿ってみたら、KEKがクラウドファンディングを開始してることを知った。高校生向けのサイエンスキャンプの資金を一般から募ってるんだという。 #BellePlusCF
サイエンスキャンプといえば、自分も宇宙センターのキャンプに昔参加したことがあって、大きな影響を受けたイベントだ。その後、国の科学予算の削減のあおりを受けて国からの補助は終了したらしい。規模を縮小してKEKの予算の中で続けてきたけどもう限界ということのようだ。
生徒・学生時代のこういう体験は宝だと思うから、予算削減に負けずに続いてほしいと思い、恩返し代わりに支援し、ここでも紹介することにした。5,000円以上出せば、なんか理系ミーハー心をくすぐるかっこいいTシャツも貰えるらしい。ふむ。
「素粒子実験の未来を担う研究者を育てたい!」
https://academist-cf.com/projects/?id=48
(学術系クラウドファンディングサイトacademist)
「Belle II 実験」
http://belle2pb.kek.jp/
(高エネルギー加速器研究機構)
蛇足:しかし、恩返しと書いちゃったけど、最大の恩返しは僕の微々たる投げ銭より、さっさとちゃんとした研究者として仕事することであり、それについてはまだ足踏み中である👣 (しょーじんします‥‥‥)
蛇足2:サイエンスキャンプは数少ない参加者しか恩恵を受けないしという点では少し不公平感が残り、効果も測りにくい事業だという批判はあるかもしれない。JSTの次世代人材育成事業の予算配分の詳細のことはよく知らないけど、SSHや科学オリンピックの推進なども手掛けていて、むしろ僕が高校生だった頃より手を広げてるんじゃないかという印象も受ける[要出典]。とは言え、キャンプ参加に恵まれた高校生にとってはこの上ない濃厚な時間を過ごせる機会であり、各機関が独自に継続しているものは、貴重な取り組みとしてずっと続いていってくれたらいいなあっていうぼんやりとした気持ち。
『君の名は。』を2回見ての感想
『君の名は。』ネタバレ注意。
オバマ大統領の広島スピーチ拙訳
どうせすぐに各新聞社が良質の全文訳を掲載するとはわかっていましたが、オバマ大統領のスピーチは自分の手で和訳しないといけないような気がしたので、下記の通り訳しました。
オバマ大統領のスピーチのうまさは今更言うまでもなく、確かにビデオで見ていると心を揺さぶられる個所もあるのですが、自分で訳して見えてきたのは、このスピーチの無難さ、細部での物足りなさ、極めて英語的で翻訳に適さない修辞。説明なしに引用されるアメリカ独立宣言など、本当に日本人をオーディエンスとして想定して書かれたのか。1945年の8月に「キッチンテーブル越しの配偶者」の情景など、当時の日本の住宅の構造では考えにくい、アメリカンファミリーな描写も違和感を感じます。
アメリカの歴史教科書の多くはキノコ雲の写真くらいしか載せず、日本人が社会科で見てきたような皮膚が焼けただれた被害者の写真などをアメリカ人が目にする機会は限られています。実際このスピーチに登場する広島の具体的な情景もただ「空に舞い上がるキノコ雲」であったりなど、上空から見下ろした視点から降りてくるものではなかった。原爆資料館を見学した後の(はずの)人の言葉としては不十分なものです。
現役大統領が広島の地で核廃絶を目指すことを訴えたこと自体の歴史的意義は感じるし、事前に準備した原稿から離れるわけにはいかない立場は分かるものの、大統領退任後、いつの日か、10分と言わずじっくりと資料館を見学され、ご自身の言葉で話すことが許される日が来るといいなと願うものです。
以下の拙訳、原文はThe New York Timesの記事を参照しました。
トランクィリティ!
「投げる…throw…投…投入…」
ルームメイト:「ヘイ、家でも研究のこと考えてるなんて言わないでくれよ。最近いつも頭抱えて何やってんだ?」
「Poem.」
「へ?そんなロマンチックなやつだったっけ。恋でもしたのか」
「あ、ポエムって言っても『薔薇は赤い菫は青い』みたいなのじゃなくて、tankaって言うone-linerの定型詩でね、友達がやってるのを前に見ていいなぁと思ったから、試しにネットの歌会に出してみてるんだ。今日は『投 throw』がお題なんだけど難しくて」
「One linerじゃ韻も踏めないじゃないか。なんでそれがただのフレーズじゃなくて詩って扱いになるんだ」
「いや、韻の代わりにリズムが決まってるんだよ」
「リズム!おもしろそうじゃないか」
「31音節にまとめるルールなの。たたたたたーたたたたたたたーたたたたたーたたたたたたたーたたたたたたたーって!」
「ノリノリだな」
「そう?」
「しかしそんな短くて何をどうするってんだ」
「そこに情景や心情を詰め込んであとは読者の想像に任せるんだよ。Haikuっていうもっと突き詰めたタイプもあって、それは575でおしまいだ」
「もうそれ何も入らないよ」
「実際本当に最低限で、情景描写したらそれで詩そのものはおしまいってパターンも多い」
「例えば」
「たぶん一番有名なのは… An old pond, a frog jumps in, sound of water」
「(爆笑)ジョークだろ?! だからどうしたって感じ」
「水音が妙に大きく聞こえて、しばらく揺れている水面とかを思い浮かべて鑑賞するんだよ」
「それならなんか俺も作れそうな気がしてきたぞ。さっき『throw』って考えてたな。こんなのはどうだ。Wind throws leaves up in the air… tranquility!」
「Tranquilityのとってつけた感w」
「Sound of water!と似たようなもんだろ」
「まぁね…それに英語でhaikuするなら音節数を575にするんだよ」
「英語どうでもいいよ。翻訳して日本語で575にしてくれよ」
「人任せかよ…えーっと、木枯らしが落ち葉静かに投げ上げる」
「何言ってるかわからないけどそれっぽいわ。このポストイットに書いてくれ」
「書いた」
「読み方も」
「はいはい」
「よっしゃ」
「わざわざノートに貼るのかよ」
「来週までにはネットでの歌会とやらでお前の票数を抜く」
「それは短歌の方だよ」
「そうか」
※ なお、ツイッターでは「静やかに落葉舞わせる秋の風」という名訳を頂きました。
추석 = チュソク = 秋夕
僕「アンニョンハセヨ~」
食堂の韓国系のおばちゃん「コンニチハー。相変わらずその言葉だけはネイティブ並みの発音ね… 今日は満月だね、日本でも秋の満月の日に祝ったりするの?」
「祝いますよー」
「なんか食べたりする?」
「はい、dangoって言うんですけど、えっと、roundでsweetで…」
「あー、rice powderで作るやつ?」
「そうそうそれです」
「あら面白い、韓国にも似たようなのあるわよ」
「へー!そうなんですね!」
「Happy full moon!」
(なんか変な言い方!w)「Happy full moon!」
※ 同じ文化圏出身者同士がともに異国にあって、秋の月からは情緒を感じるものだという点を互いに共有しているところはわかるけれど、英語を経由させると難しいんですよね。夜空はあいにくの曇りでした。
キカドイデア
ここでは梅雨が抜けてる分、夏が早めに来るようです。近ごろ聞こえる蝉の声、もうベランダに落ちて来てのたうち回る者もある。7日の命とは言えど生き急ぎ過ぎじゃないかって。
シンガポールで研究を今年始めた友人は、今、一番欲しいのは、四季だと呟いていました。その静的な土地柄が自分のことのようにも思え、日々うつりゆく季節から取り残されたんじゃないかと見上げてみたりするのです。(返事の書いてない手紙が崩れるほどに重なって、手を伸ばしては引っ込めて。)
牛が言うこと聞かないとてもそれを牽いての牽牛星。日本はもうすぐ七夕ならば、前に視線を戻しましょうか。
上司トークは割り引いて
先日の昼食時、先輩が難しい顔をしてフリーズしていた。どうしたのかと訊くと実験のことを考えていたのだという。
それを聞いてボスは上機嫌に「それでこそ科学者だ! 良い研究者は四六時中研究から頭が離れないものだ。やがて俗世間の情勢にうとくなり、人間関係も疎かになるが、それと引き換えに顕著な成果を残し、成功した研究者となる。○○○(某名門大学)を見たまえ、准教授陣の9割が離婚するとも言う。」などと語りだした。
食後、別の同僚が憤慨していた。「家族友人を犠牲にしてやっと職が安定する人生なんて俺はごめんだ! 研究者として成功しても、家族をないがしろにして友人を失って惨めに暮らすのは人生において成功したとは言わない! この仕事が終わったら民間企業に就職する。」 …民間にも似たような考えは多い気もするが、それはさておこう。
全てを研究に捧げるのはひとつの理想なのかもしれないが、歪んだ理想である。(理想というのはそもそも歪んだものなのかもしれない?) ボス自身、子供こそいないものの離婚していないし、研究以外にも興味は広い。自身で体現していないではないか! ならばボスは失敗した研究者か? 別にノーベル賞こそ取ってないけどこの分野の第一人者だ。顕著な成果をたくさん残してきたし、現在進行形でいろいろおもしろいことをやっている。それはいい研究者人生であると呼んでいいと思うけど、もっと研究に打ち込むことも可能だったという思いもあってああ言うのかもしれない。
ただし、それは現時点で結構幸せに生きられているからこそ感じる、より高次元の欲求のようにも思われる。欲求というのは低次元から満たされていくものだ。腹が減っては戦はできぬ。生活がギリギリだったら長期の夢野望も追えぬ。人生は長いから、自分の土台をしっかりさせないと最後までもたずに崩れてしまうだろうと思う。
道は長い。
「チートでね」
研究グループにガーナ人とギリシャ人と韓国人と日本人とオランダで学位とった人が揃ってるので、ワールドカップはたいそう盛り上がることが期待されます。
ところが、サッカーはどこが強いという話になった時、韓国人くんが投げやりでみんな困ってしまうのです。
「韓国結構強いじゃん」
「そうだね、審判買収とか得意だしね」
「…いや、2002年の時とか、semifinalだなんてなかなかいけるもんじゃないし、すごいって」
「Yeah, by cheating.」
そんな自虐的にならんでも…と、反応に困る一同 (´・_・`)