どうせすぐに各新聞社が良質の全文訳を掲載するとはわかっていましたが、オバマ大統領のスピーチは自分の手で和訳しないといけないような気がしたので、下記の通り訳しました。
オバマ大統領のスピーチのうまさは今更言うまでもなく、確かにビデオで見ていると心を揺さぶられる個所もあるのですが、自分で訳して見えてきたのは、このスピーチの無難さ、細部での物足りなさ、極めて英語的で翻訳に適さない修辞。説明なしに引用されるアメリカ独立宣言など、本当に日本人をオーディエンスとして想定して書かれたのか。1945年の8月に「キッチンテーブル越しの配偶者」の情景など、当時の日本の住宅の構造では考えにくい、アメリカンファミリーな描写も違和感を感じます。
アメリカの歴史教科書の多くはキノコ雲の写真くらいしか載せず、日本人が社会科で見てきたような皮膚が焼けただれた被害者の写真などをアメリカ人が目にする機会は限られています。実際このスピーチに登場する広島の具体的な情景もただ「空に舞い上がるキノコ雲」であったりなど、上空から見下ろした視点から降りてくるものではなかった。原爆資料館を見学した後の(はずの)人の言葉としては不十分なものです。
現役大統領が広島の地で核廃絶を目指すことを訴えたこと自体の歴史的意義は感じるし、事前に準備した原稿から離れるわけにはいかない立場は分かるものの、大統領退任後、いつの日か、10分と言わずじっくりと資料館を見学され、ご自身の言葉で話すことが許される日が来るといいなと願うものです。
以下の拙訳、原文はThe New York Timesの記事を参照しました。
71年前、雲一つないある朝、空から「死」が落とされ、世界は変わりました。閃光と火の壁が街を破壊し、人類は自分たちを滅ぼす手段を手に入れたことを知らしめました。
私たちはなぜこの地に、広島に、集うのでしょうか? それは、かつてここで解き放たれた恐ろしい力に思いを馳せるためです。また、犠牲になった10万人を超える日本人の老若男女、何千人もの韓国人、10人余りの米国人捕虜を弔うためです。彼らの魂は私たちに語り掛けてきます。私たちはいったいどういう存在であり、またどういう存在になりうるのかということを内省するようにと。
戦争があったということ自体は何も広島に限ったものではありません。史料を調べると、人類が初めて登場した時から絶えず暴力的な衝突があったことがわかります。私たちの遠い先祖は石で刃を作り木材で槍を作りましたが、こうした道具は狩猟に使われただけではなく、仲間に対しても向けられました。どの大陸の文明の歴史を紐解いても、穀物や金をめぐって、あるいは白熱した国家主義や熱心な信仰心に推進されて、数多くの戦争が行われてきました。大帝国が勃興し、滅亡していきました。人々が服従させられ、また自由を得ていきました。その都度、罪のない人々が苦しみ、数多くの犠牲が時の流れに消えていきました。
広島と長崎で終焉を告げた世界大戦は、世界の中でもとりわけ裕福で強力な国家間で争われたものでした。こうした国家は世界中に雄大な都市を築き、豪華な美術を創造し、思想家たちは正義・協調・真実について崇高な思いを抱いたものです。しかし結局、かつての部族間抗争と同じように、支配や征服を求める本能から戦争は生じました。かつてと同じパターンで、しかも新たな能力を備え、新たな制約が加えられることもなく。
たった数年の間に、6千万人が死んだのです。私たちと少しも変わらない男たち、女たち、子供たちが、撃たれ、叩かれ、行進させられ、爆撃され、収監され、飢えさせられ、ガス室に送り込まれました。勇気やヒロイズムを語りつぐ記念碑や、言葉にできないほどの悪行がこだまする墓地や収容所など、この戦争の記憶を物語る史跡は世界中に数多く存在します。
しかし、とりわけあの空に昇って行ったきのこ雲ほど、人類が抱える根本的な矛盾を思い起こさせるものはありません。私たちを生物種として最も活気づける要素……私たちの思想・想像力・言語・道具を作る能力・自然から自らを解き放ち思いのままに形作れる能力……こうしたものが、無比の破壊も可能にしてしまうのです。
我々は、物質的な進歩や社会的な革新の中でこの真実を見失ってきたのではないでしょうか。何か崇高な目的を掲げて暴力を正当化することを学んでしまうことがどれほど簡単でしょうか。宗教は愛と平和と正義への道筋を約束しますが、一方で信仰を殺戮の免状であるように主張する信者がいます。国家は、犠牲と協力が人々を結びつけて偉業を可能にすると語りますが、同じ語り口が自分たちとは異なる集団を抑圧し人間性を奪うためにも使われます。科学は、海を超えた会話を可能にし、雲の上を飛ばせてくれ、病気を治し、宇宙を理解させてくれますが、同じ発見が大量殺戮マシンにも姿を変えます。
近代の戦争はこの事実を教えてくれました。広島がこの事実を教えてくれました。人間社会の進歩を置き去りにした技術の進歩は破滅を導く。原子核の分裂を可能にした科学的な革命のあるところには、倫理的な革命もなくてはならない、と。
だからこそ私たちはここに来たのです。私たちはこの街の真ん中に立ち、無理にでも、爆弾が落ちた瞬間を創造する。無理にでも、その光景に混乱する子供たちの恐怖を感じる。静かなる泣き声に耳を傾ける。あの恐ろしい戦争に殺された罪のない人々のみならず、これまでのすべての戦争、そしてその後起きたすべての戦争に殺された人々に思いを馳せる。
言葉でこのような苦しみに声を与えることはできません。しかし、私たちには、歴史を直視し、このような苦しみを防ぐために何をすればいいかを問う責任が、共にあるのです。
いつの日か、証人となる被爆者(※ 原文でもhibakusha)の声を聞くことはできなくなります。しかし1945年8月6日の朝の記憶を消してはいけません。記憶は自己満足に立ち向かう力であり、倫理的な想像力の糧です。記憶を元に私たちは変わることができます。
そしてあの運命の日以降、私たちは希望の道を常に選択してきました。合衆国と日本は同盟を結ぶのみならず、戦争で得ることができるものよりもはるかに尊いものを私たちにもたらす友情を育んできました。一方欧州各国は、かつての戦場の代わりに、商業と民主主義により結ばれた連合を築きました。抑圧されてきた人々と国家は自由を勝ち取りました。国際社会は戦争を防ぐための組織や条約を整備し、核兵器を制限し、引き下げ、最終的には全廃することを目指して働いています。
それでもなお世界に絶えない国家間の諍い、テロリズム、腐敗、残虐な行為、そして抑圧を見るに、私たちの仕事は終わりがないものです。おそらく人の悪を根絶することが不可能であるならば、国家や連合は自衛の術を持っていなければなりません。しかし一方で、私自身の国をはじめとした核保有国は、恐怖の論理から脱却し核兵器のない世界を目指す覚悟を持たなければなりません。この目標は私の存命中には成し遂げられないかもしれませんが、たゆまぬ努力により大惨事の確率を押し返すことはできます。備蓄された兵器の廃棄に繋がる道筋を描くことはできます。核兵器が新たに拡散するのを止め、狂信者の手に渡るのを防ぐことはできます。
しかしそれでもなお不十分なのです。世界を見渡すと、最も単純なライフルや爆弾でさえ途方もないスケールの暴力を引き起こすことができるのです。戦争に対する考え方は根本から見直さなければなりません。外交により争いを回避し、生じてしまった争いは外交により終わらせなければなりません。今日進展しつつある相互依存は平和的な協力関係であり、競争であると捉えてはなりません。破壊能力により国家の力を測るのではなく何を築くかで測らなければなりません。そして何よりも、ともに人類の一員として、お互いの繋がりについて再考せねばなりません。
これこそ、生物種として我々が最もユニークな点なのです。我々は遺伝子の呪縛に縛られずに、過去の間違いを避けることができます。私たちは学べるのです。私たちは選べるのです。私たちは、戦争が起きにくくなるよう、残虐さが許容されなくなるよう、生まれ来る子供たちに、共通の人間愛に満ちた新しい物語を聞かせてあげられるのです。
私の国の物語は単純な言葉から始まります。「我々は、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれていることを信ずる」(アメリカ独立宣言)というものです。この理想の実現は、私たちの国境の中の自国民に限っても、決して簡単ではありません。しかしこの理想に沿い続けようとすること自体に意義があります。幾多の大陸や海を乗り越えて普遍的な理想であり、努力する価値のあるものです。かけがえのない各個人、各人生、そして我々はみな一つの家族であるという根本的かつ必然的な観念……これが、我々全員が語らねばならない物語なのです。
これこそが、私たちが広島に来る理由です。愛する人のことを想うために。朝一番の子供たちの笑顔。キッチンテーブル越しの配偶者の優しい手触り。親の優しい抱擁。こうしたことを思い起こし、71年前にもそのような貴重な一瞬が存在したということ。
亡くなった人々は、私たちのような普通の人々でした。戦争がこれ以上続くことを望んでいません。科学の驚異は人々の人生をよくするために使われるべきであり、命を奪うためのものではありません。国家が、首脳が決断をするとき、このような単純な知恵を働かせるならば、広島の教訓は生かされているのです。
この地で世界は永遠に変わってしまいましたが、今日この街の子供たちは平和に毎日を過ごしています。なんと貴重なことでしょう。一生懸命守るべきものであり、あらゆる子供に与えられるべき平和です。広島と長崎が核戦争時代の幕開けとしてではなく、我々の道義の目覚めの始まりである未来を我々は選択することができるのです。
(Transcript by the New York Times, translated by Asahiko)