先日の昼食時、先輩が難しい顔をしてフリーズしていた。どうしたのかと訊くと実験のことを考えていたのだという。
それを聞いてボスは上機嫌に「それでこそ科学者だ! 良い研究者は四六時中研究から頭が離れないものだ。やがて俗世間の情勢にうとくなり、人間関係も疎かになるが、それと引き換えに顕著な成果を残し、成功した研究者となる。○○○(某名門大学)を見たまえ、准教授陣の9割が離婚するとも言う。」などと語りだした。
食後、別の同僚が憤慨していた。「家族友人を犠牲にしてやっと職が安定する人生なんて俺はごめんだ! 研究者として成功しても、家族をないがしろにして友人を失って惨めに暮らすのは人生において成功したとは言わない! この仕事が終わったら民間企業に就職する。」 …民間にも似たような考えは多い気もするが、それはさておこう。
全てを研究に捧げるのはひとつの理想なのかもしれないが、歪んだ理想である。(理想というのはそもそも歪んだものなのかもしれない?) ボス自身、子供こそいないものの離婚していないし、研究以外にも興味は広い。自身で体現していないではないか! ならばボスは失敗した研究者か? 別にノーベル賞こそ取ってないけどこの分野の第一人者だ。顕著な成果をたくさん残してきたし、現在進行形でいろいろおもしろいことをやっている。それはいい研究者人生であると呼んでいいと思うけど、もっと研究に打ち込むことも可能だったという思いもあってああ言うのかもしれない。
ただし、それは現時点で結構幸せに生きられているからこそ感じる、より高次元の欲求のようにも思われる。欲求というのは低次元から満たされていくものだ。腹が減っては戦はできぬ。生活がギリギリだったら長期の夢野望も追えぬ。人生は長いから、自分の土台をしっかりさせないと最後までもたずに崩れてしまうだろうと思う。
道は長い。